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社長ブログ

2008.01.20

ウエダ再興記(21) ~何の為、誰の為に経営するのか?

ウエダ再興記

見栄・体裁を重んじていた父親は、私に任せていると分裂、解体が行なわれていき自分に傷がつくことをを嫌ったのだと思います。

元々入るつもりがなかった会社に、子会社代表達から何とか建て直して欲しいとの事で、身内の会社だから少しでも役に立てばという想いで入り、私の役割は悪役になり、シビアな交渉をする事だと思って進めて来た事を、あっさり撤回しているのですから、情けないやら、腹立たしいやらで、”誰のせいでこうなったと思っているのだ、馬鹿らしい、もう辞めよう”そう思いました。
しかし、私が辞めた場合ウエダ本社は、子会社を切り離して廃業するのか、切り離れていった後も父親達がそのままやって倒産していくのかのどちらかしかないのは明白でした。

この時父親は80歳、それまでに二度脳梗塞で倒れた後遺症もあり、まともな判断もできる筈がないながら代表取締役会長という最高決定権者のまま居たのですから、これが最大の問題でした。
私は兄と母に話し、父を外して私が代表権を持つ事、私がやるなら全権を委任してもらわないとできない事、又そうしない限りウエダは存続できない事を認めてもらい、2000年1月代表取締役副社長に就任しました。

社員達はそこまで重く考えていなかったかもしれませんが、ウエダを辞めて自分の会社に戻り、ウエダは消滅して社員達は路頭に迷うという様な、皆を放って自分だけ”逃亡する”という事は、もうこの時点ではできませんでした。

ウエダに残って、再興していく事を決めました。
しかし一方で私が加わる事で、経費も増やす余裕はありません。
まして私が経費カット、リストラを行なっていくのに、自分が良い給料を取れるわけもありません。
代表を外すという事で、父の年収を600万円減らし、その600万円を私の年収としスタートしました。
20代の、瀧定でのサラリーマン時代よりも安い給料で、この時点での借入金8億8千万円を代表として引き継ぐ事を考えると、自分の損得勘定を考えていれば割りの合う仕事ではありませんでした。

私は自分でも創業していましたらから、体で感じている所がありますが、いくら大企業でもサラリーマン社長と創業した社長は全く違うと思います。
オーナー系の社長では、事業が失敗すると、本当に死に追い込まれる事などたくさんありますし、自分で創業した多くの社長は、それ位の覚悟を持って創業しています。
ましてや、倒産一歩手前の会社を引き継ぐわけですから、この代表になった時点で、大げさではなく命賭けで行う腹を決めました。

それと同時に、自分だけが良ければ・・という発想で興した有限会社から、本来は、公の立場もあり、社会貢献なども考える必要のある株式会社という組織を引き継いだこの時に、会社は誰のものか?何の為に会社を営むのか?について発想が変わったと思います。

負け癖がついていて沈滞ムードが蔓延している社員に向けて私は、”ウエダの代表を引き継いだ以上、京都の同族の中小企業として経営するつもりはない、上場も視野にいれた、いつでも上場もできうる会社にしたい”そう宣言したのでした。

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