日本人の忘れものから1000年紡ぐ企業

今週は京都新聞主催の「日本人の忘れもの知恵会議」というイベントに登壇させて頂きました。

基調講演が、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長も務められた、哲学者の鷲田清一さんという高尚なイベントで、その鷲田さんともパネルディスカッションでご一緒させて頂くという有難い機会でしたが、鷲田さんのお話と絡めると、近景(家族)中景(地域社会、学校、会社、組合など)遠景(国家)という中で、中景がやせ細ってしまったのが大きな問題という中で、私は会社という中景をどの様に強くしていくか?という事について、それに繋がる実践を行なっている者という役割だったのかと思います。

そもそもは共催者でもある、地域企業宣言というものを出した、”京都市地域企業未来力会議”の策定メンバーでもあるのですが、中小企業という規模の優劣ではなく、地域と共に継承発展する地域企業を目指していくべきというこの宣言の主旨は、正に中景を強めていく企業宣言と言えると思います。

鷲田さんは、繁華街でもない住宅街に、仕出し屋と和菓子屋さんがある京都の街並みが好きだと仰っていました。

私もそんな意識は持っていなかったのですが、これは寄合の名残で、昔は各町内で寄合がしょっちゅう有り、そのおもてなしをするのに、町内に仕出し屋さんと和菓子屋さんがあったという事だそうですが、町内や地域で、商売は持ちつもたれつお互い様という事で成り立っており、それゆえ、経済と文化、芸術もリンクしていたという事でした。

それが、効率追求や、それこそ規模の大きさの競争ばかりの経済一辺倒で推し進めて来て、地域が崩れ、文化、芸術も繋がりを無くして、危うい存在になって来たのでしょう。

昨年私自身、これが”THE京都のビジネス”なのか!と、初めて感じた出来事がありました。

それは、お香の老舗企業である松栄堂さんのオフィスを手掛けさせて頂いた時で、良かったと評価頂くと、本当に有難い事に、”オフィスはウエダ本社に頼んで良かった”という事を、全員に言って頂いていたのではないか?と思う程、言って頂いていて、京都の老舗企業というのか、街中(まちなか)では、こういう関係性で成り立っているのかと感じたのです。

ここでは、お互い様という関係や、地域での循環がベースにあり、値段だけで関係性を変えたりせず、それだけに信頼が大事で、他府県から来られた方が、京都は商売が難しいと言われる所はこういう所にあるのだと思います。

しかしその京都でも、残念ながら、殆どはモノの値段だけで競争させて一円でも安く買う、経済一辺倒の社会となってしまっています。

当然ビジネスですから、甘い事だけ言ってられない面があり、厳しい姿勢が素晴らしいとされているのですが、どういうスパンで見るか?によって、短期的に正しくても、長期的に見れば信頼を無くし、大きな損失になる事も多いと思いますが、日本人の忘れものというテーマを京都新聞さんが取り上げて来られていたのも、京都では忘れ去ってはいけないという事なのだと思います。

今週あったクオリア朝食会では、以前もご紹介した、衝撃的に幅広い見識をお持ちの能楽師安田登先生にお越し頂き、能とサステナビリティについてお話頂きました。

世阿弥は、能を未来に残す事を考えて、家元制度や、天才に依存しないシステムを作り上げた、とのお話でしたが、同様に、大きくしないという選択をし、それゆえ、お客さんに寄り過ぎないスタンスを取り、期待や欲求が高まり過ぎない様にしていたり、「陰陽の和するところの境を知るべし」と、昼は静かに、夜はアップさせるなど、色々なものをゼロの状態に向ける様にしていたそうですが、伝統というのも、今使われているニュアンスではなく、ある意味、誰でもが未来に継続させていくことができる仕組みの様なものという事でした。

この能でも、世阿弥から数えると”まだ”650年という中、土曜日には第四回となる京都市の”1000年”紡ぐ企業認定の授与式が開催されました。

こちらでは第一回から審査員を務めさせていますが、これまでは、何せ”1000年”と掲げてしまった為、当然それだけ、親しまれないと駄目でしょうし、継続という事からすると、事業性もしっかりしないといけない、そしてソーシャルというくくりなので、利益から入っている所は違うなど、毎回、どこを軸にしていくか?の審査の基準が難しかったのですが、漸く、纏まって来た感じがしました。

それこそ継続していって段々価値が紡がれていくのでしょうね。

今週だけでもこれだけのイベントがある京都は、やはり経済性を追求して来た中でも、その行き過ぎた違和感を何となく感じている様に思います。

大きくしない、そこで勝負しないという選択から、”中小企業”という意識を改め、肌感覚で中景を強めていく必要性も感じて”地域企業”という宣言を出し、そんな中から1000年紡いでいく、未来に残そうとする企業、プロジェクトを作っていこうとしている所は、数千年というスパンの中で、自己の利益一辺倒に行き過ぎたものをゼロに戻していこうとしているのかもしれません。

そういう意味ではやはり、日本の伝統を残していくエコシステムを持っているのは京都なのだと思いますし、揺り戻し役をしっかり果たしていかないといけないと思います。

そして、やはり同じ想いだと改めて感じた京都流議定書を今年も行います。

例年よりかなり遅れておりますが、これまではキャスティング、構成は、私の方で外部の協力者と全て決めていっていたのですが、今年は二日の内の一日を町衆ではないですが、スタッフに自分達のイベントとして企画してもらいます。

ウエダ本社が、大事な日本人の忘れものを考えていく”京都”という社会と繋がると、スタッフは町衆となり、自ら行動、運営する市民、国民となっていく。

そんな転換をしていく事が、日本人の忘れものをまだ感じる事ができる京都の役割ではないかと思います。