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社長ブログ

2020.08.16

ヒト科から人を再考する

今週一週間は休みでしたが、今年の京都流議定書のキーノートスピーチを頂く、京都大学の山極総長と、オンラインで打合せさせて頂きました。

打ち合わせと言っても、京都流議定書のベースの想いと今年のテーマ、そして何故、山極総長にお願いしたのか?という事をほぼ一方的にお話させて頂いただけですが、総長からは、「良い事をやってるのだから、頑張って協力させて頂きます」との有難いお言葉を頂きました。

コロナ禍で、これまでであれば予定が合わなかったものも、オンライン参加ができるので「逆に忙しくなった」と言われる中、快くお受け頂いて本当に有難く思います。

今年の京都流議定書のテーマは、かなり早くからというか、新型コロナが発生して直ぐに決めていました。

それは当初からとその後もずっと、コロナに対してのマスコミの取り上げ方、騒ぎ方が違って、それに扇動されていく危険さを感じていたので、この正解の無い大変な問題に向かっていくには、生物や物理など、そもそもの在り方から考え直していかないと見えて来ないのではないか?と感じていたからで、”人類はどの様に共存していくのか?”というテーマにしていました。

マスコミが悪いと言いながらも、この問題もマスコミが勝手にそうなる訳ではなく、それはそれを求めている人達がいるからで、政治であれ教育であれ、どんな問題でも、何故そうなるのか?を突き詰めていくと、全ては人間のエゴが根源で、その中で、強い力を持つ一部の人達の欲から生み出されているのだと思います。

ですので、この前例のない事へは、それぞれのエゴもある人間から考えるのではなく、生態系や生き物として、という所から考えていかないと進むべき方向を見失いかねない事から、山極総長に、ゴリラやチンパンジーの生態系からお話頂こうという事なのです。

今週15日は終戦記念日でしたが、先週からの広島、長崎の原爆投下と共に75年が経過して、その記憶が薄れていく事の懸念も報じられていましたが、それらの式典もコロナ感染の対策から、大幅に出席者を絞ってのものとなっており、コロナ対策としてはやむを得ないのかもしれませんが、同時に大事なものを一気に無くして行っている様に感じてなりません。

何かあった際の責任追及というか責め立てる風潮が、何もしない(できない)という対策になり、止める、閉じ込める、会わない、移動しない、という話になり、それをやらないと袋叩きにするという風潮は、人しての在り方が問われているコロナがあぶり出した大きな問題だと思います。

世界恐慌から第二次世界大戦に突入していきましたが、これから世界経済は、厳しい状態に向かっていくでしょう。

ナチスはある意味潔癖さというのか、ユダヤを始め他の民族を下等として、純血を追求していった所から、あれだけ恐ろしい方向に進んで行きました。

わざわざ馬鹿な行動をした人は論外ですが、何故、感染した人が、まるで犯罪者かの様にバッシングを受けたり、差別されたりしないといけないのでしょうか?

何故、人は、そんな事を平気をやるのでしょうか?

そんな風潮を許していたり、助長していて、差別を無くそう!戦争反対!子供達を守ろう!地球の為に!などなど、綺麗な事を並べ立てていないでしょうか?

そんな人達を生み出している事、そんな思考の感染者を広げる事の方が、人類にとって、もっともっと深刻な問題だと思いますし、今年の京都流議定書では、人間に一番近いとされるヒト科のゴリラのお話を聞いて、人を俯瞰してみた所から、改めて人間の進み方を考えていきたいと思います。

今年はオンラインですから、世界中どちらからでも、多くの方の考える機会にして頂ければと思います。

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