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社長ブログ

2012.12.03

那覇マラソンの意味づけ

全くマラソンなんて走るつもりはなかった自分が、28回の歴史の中で初めてという、どしゃ降りの雨の中、那覇マラソンに出ている事自体、不思議な気持ちでした。

週一で走り出したのが、5月くらいからだと思いますが、朝のウォーキングを始めたのは、3月頃だったと思います。

もともとはこの二年程、本業で苦しんで来た事への願掛け的な事から、生活スタイルを変える事と、朝の時間を自己投資に使う為、5時に起きる事にしました。

その内に、毎朝のウォーキングになり、週一のランニングとなり、それならと、二年前に応援に来て、その和やかな雰囲気から、”マラソンする事になれば那覇マラソン”と思っていたこともあり、申し込みだけは行なっていました。

社内の価値観の擦り合わせ、役割の明確化を進めてきて、漸く、光が見えてきたタイミングでもあったので、自分の中で、このマラソンを浮上の切欠としようと思う様になりました。

それだけに、完走しないと浮上はない、と、勝手に言い聞かせ、根拠も自信もありませんでしたが、”完走する”と言って、逃れられない様にしてきたのです。

長男に対しても、完走できなければ、今まで反対していたある物を買ってやると約束したのですが、沖縄が雨という週間予報で喜んでいる姿を見て、教育上、間違ったと大反省しました。

しかし、それくらい自分の中で、これを今の状況と重ね合わせて絶対完走と、追い込んで臨んだのでした。

ところが、当日朝起きると、どしゃ降り。
しかも現場で合流するつもりだった沖縄教育出版の皆さんとは連絡が取れず、要領を得ないまま、ゼッケン順で2万5千人の最後尾のブロックに一人で並びました。

約1km、どしゃ降りの中、殆ど動かず、24分後に漸くスタート位置に立てるという、正に最悪からのスタートでした。

このマラソンを勝手に会社の切欠に考えていたからでしょうか、考えてみると、ウエダ本社に来た時も、本当に四面楚歌であり、どしゃ降り状況の中、一人だったよな〜などと考えながら、そう
思うと、今は社員全員で寄せ書きでタスキを作ってくれる様な会社になっているのだからと、最悪からのスタートは、後は良くなるだけだと、スタート位置を過ぎて、走り出す頃には、変な勇気も湧いて来ていました。

華やかな雰囲気を気に入って、初マラソンは那覇でと思って来たのですが、どしゃ降りでお祭りムードもあまり無く、”太陽と海”の祭典というのには程遠いものでしたが、そんな雨の中でも、ボランティアで様々な支援をして下さる沖縄の方には、本当に有難く思いました。
二年前、うちの女子社員が那覇マラソンに挑戦する際、ブロックスの西川社長が、自分しんどい時ほど、他の人に声をかけるのがコツだと言われていたのを実践するべく、沿道で手を出してくれる人、特に子供にはできる限り手を合わせていきました。

手を合わしてその時声をかけていくと、一瞬ですが、力が出るのです。

特に一人で参加している私などには、凄い力となりましたし、この事も人との関係において、大きな学びがある様に思いました。
この後の道中については次回にさせて頂きます。

勿体つけているのではありませんが、今日はもう休ませてもらいます。

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