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社長ブログ

2012.07.15

縁を作る事の意味

先日、ある女性が考えられているプロジェクトに合いそうな方をご紹介すると、その方のサイトを見られて、正に、自分が今までずっと考えて来た事ズバリだと、今にも泣き出さんばかりに感動されていました。

その方がやろうとされる事に対して、自分が知っている人を紹介しただけで、そんなに喜んで頂けて、こちらも大変嬉しい気分になりました。

人の縁については、京都流議定書というイベントを行なっていると、正に、縁、繋がりというものが如何に大事かという事を痛感させられます。

今回も、その領域においては、第一人者の方ばかりなのですが、直ぐ横で動かれていて、ひょっとすると、それぞれで凄い方が、一生すれ違っていったかもしれないのです。

そんな方々が、自分自身や、ウエダ本社という会社が媒介となって繋がり、その事によって大きな価値を生んでいく事に繋がれば、世の中に価値を提供できるのですから、こんなに嬉しい事はありません。

生きている限りは役割がある・・それが意外に思われる、マジメな?私の考えのベースですが、その中でも次ぎの様な事がその又ベースになっています。

一つは地球規模で考えてみると、46億年もの年月の中で、同じ時期に生きているだけで凄い確率であり、そう思えると、主義主張が違ったりしたとしても、いがみ合う事も無く、差別や偏見なども、意味の無い事に思えてくるのではないか?と思います。

生命的?に考えてみると、約3億~5億とも言われる精子の中のたった一つが卵子が結合して、今の自分が生まれて来ているのであって、この掛け合わせが違っていれば、今居る自分は存在もしていないわけですから、これだけで、3億~5億分の一で生まれて来た、とてつもなく幸運(強運)な人間なのです。

又、世界を100人の村で考えると・・的に考えると、世界全体から見れば、日本に生れ落ちただけで、ごく数パーセントの幸福層に属するのです。

これらの客観的な数字だけで考えてみても、自分自身が自分だけの事を考えていて良い筈がないと思えないでしょうか?

それだけの確率を潜り抜けた見知らぬ人と、たまたま駅ですれ違う確率ってどの位なのか?と考えてしまいます。
そのすれ違った人の中で、目が合うというだけで更に凄い確率になり、もし何かがあって、一言でも言葉を交わしたなんていうと、地球の歴史から考えれば、天文学的な確率だと思うのです。

そんな気が遠くなる様な確率の中で、同じ組織に居て、自分が生きている間の殆どの時間を過ごしているのが、会社であり、同僚なのです。

そんな風に、仲間の事をとらえ、会社や組織をとらえた事があるでしょうか?

そんな風に、もしとらえる事ができれば、自分だけの事を考えて、自分さえ良ければなどという考えにはならないのではないか?と思いますし、目の前の仕事だけを消化しているだけ、それもイヤイヤやっているなんて事って、本当に勿体無い事だと思うのです。

自分や自分の会社が媒介となって、すれ違うだけで終ったかも知れない、或いはすれ違いもしなかった人達を繋げる事ができれば、自分達が大きな役割を果たす事が出来るのです。

人は生きている限り、会社は存在する限り、何かの役割を持っていると思いますし、その役割を果たすべきだと思います。

ウエダ本社としては、素晴らしい世の中を作っていこうとする人達の縁を繋いでいく事によって、その役割を果たしていきたいと思いますし、今年の京都流議定書では、今まで以上にそんな繋がり(縁)が生まれる”場”になると思います。

未だに、何故、こんなイベントをやるの?という事を言われるのですが、こういう所から説明しないとなかなか説明し切れないので、改めて説明させて頂きましたが、まあ、不思議に思われる方々も是非、縁を作りに、繋がりに来てみて下さい!

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