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社長ブログ

2012.01.11

105歳のおばあちゃんの死

この三連休の間に祖母が亡くなりました。

私の両親も亡くなっており、会社とは以前から関係もしていない事、又何よりも105歳という大往生であり、身内と言っても殆ど残っておらず、私と兄家族と叔母(母の妹)だけでお見送りをさせて頂きましたので、会社関係の方にはご案内もせず、失礼させて頂きました。

この祖母は気高い人で、自分の娘でもある私の母にも、面倒見てもらうのは嫌だと施設に入っていたのですが、そうは言いつつ、いずれ面倒を見るつもりで自宅も改修していた私の母までが先に亡くなり、孫に面倒を見てもらうなんて情けないと、いつ会いに行っても死にたいと言っていました。
(と言ってもこの頃は既に100歳でしたが)

私は、自分自身で何故死生観が強いのか?分からないのですが、ある時期からそういう考えが強くなっていった一因は、この長生きであった祖母の姿を見て、生きるってどういう事?その反対に死ぬってどういう事?と身近に考える様になった事にもあると思います。

病気であれば回復すれば、復帰もできますが、100歳を超えて施設に居るのって、何に希望を持って生きていくのか?と、死にたいという祖母に、どう言えば良いのか?いつも分かりませんでした。

施設に入っておられる80代後半の人の事を、”若い人は良いなあ、何でもできて。”こんな言葉も聞かされると、人生って長いんやな、と感じさせられました。

そう考えると、40代や50代でも、諦めている様な人も多い様に思いますが、まだこの先、何十年もあるのです。
でもその逆もあり、明日、死は訪れるかもしれません。
そんな事をいつも考えさせられました。

事業にはあまり関わっていなかった様ですが、昨年11月にリノベーションした南ビルは、創業者が建てたものですから、報告して喜ばせようと、完成後にチラシを持って行きました。

”おばあちゃん達が建てた南ビルを壊さずにリニューアルして残す事ができた”と報告すると、凄く喜んでくれたのですが、いくら、おじいちゃんが建てたビルだと言っても、”よう、こんな立派なビルを建てて、あんた偉かったなあ~”と私が建てた新しいビルだと思い込み、最後まで理解してくれませんでした。

明治39年生まれ・・まだ幕末から明治を作った人達も残っていた時代からですから、どれだけの変化を見てきたのでしょう。

我々も、皆、意識していないだけで、それだけの変化、ひょっとするともっと大きな変化がこの先、待っているかも知れません。

その中で、何時迎えるかも知れない死の時に、自分は、よくやったなあ、自分の子供達には、胸を張って誇れるなあ、そう思えるのが、私自身の目標です。

おばあちゃんの死の報告と、私の記録に変えて~

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