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社長ブログ

2008.06.15

ウエダ再興記(40)~ 新ウエダ本社と父の死

ウエダシセツという子会社は、ゼネコン等の下請けで、自前で設計チームを持ち、オフィス内の設計・施工を行なっていました。
ウエダ本社は、事務機だけを残してスタートしましたが、ネットワーク・通信、それにWEB関連など、ソリューションビジネスも手掛けておりました。
それらを合体させると、オフィスの事が設計から、工事、備品販売、通信・ネットワークからWEBまでを一社でサポートできるディーラーになるのです。

又IT系の会社に関わった際の人脈から持ち込んで来られる商材もあり、これらを組み合わせていくと、他にはないオフィス向けディーラーとなっていけると確信していました。

数字面においては、ずっと勝負所の連続でしたが、合併前の2003年4月の半期決算で、ウエダ本社は1500万、2期連続赤字に陥っていたウエダシセツも500万程の
黒字となり、合併後の新ウエダ本社第一期目の2004年4月には、経常利益6200万円
を上げる事ができ、ここで初めて”倒産”という文字を遠ざける事ができました。

その翌期に当たる2005年3月、前会長である父が亡くなりました。
死という事では全く突然でした。
父は脳梗塞で3度も倒れ、少し手足に不自由が残っていたものの、命は問題がなかったのですが、少しボケもあり、代表を降りた後、完全勇退をして自宅におりました。
と、言うより、それも私が決断し、そうさせました。

これも大変辛い決断でした。
黒字転換したとは言え、それは経費などを切り詰めて、出来た黒字転換であるので、まだまだ余裕などありませんでした。
そこに、中小企業でよくある様に、オーナーだから、同族だからという理由で、何もしていない人に給料を払うという事は私にはできませんでした。
というよりも、リストラ役で入って来た私はそんな事はしてはいけないと思っていました。

しかし、片側では、息子として、ろくに世話ができるわけでもない負い目もありました。
母は芯が強い人で、”私ら何とでもなるから、あんたは仕事に専念してウエダの事を立て直してくれるのが一番や”そういつも言ってくれていました。
悪いけれど、もう父にも辞めてもらので、給料は払えない、後は退職金で生活してくれるか?この問いかけにも母は快く応じてくれました。

この退職金も顧問税理士が言われる、常識範囲の5分の1程度にしました。
厳しい様ですが、”実際倒産していたら退職金どころか、責任追及をされている立場であるので当然だ”、父親の失政の処理をして来たウエダ本社の代表取締役として、ろくに世話をできない息子としての負い目を、振り払う様に言い聞かせていました。

晩年ボケもあって昼夜が逆転し、毎晩夜中に起きてはテレビを見ていたのですが、ある早朝、リビングのソファーからずり落ちて亡くなっているのを母が発見しました。
朝、5時半頃だったと思います。
電話を受けて病院へ行きましたが、私が駆けつけた頃には全て終っていました。
何とか倒産という局面は防げましたが、父にとっては、私の行ってきた対応は良かったのか、一度も聞く事はありませんでした。

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