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社長ブログ

2007.10.20

ウエダ再興記⑧~初めての挫折

私は元来、人の好き嫌いもハッキリしていましたし、正しいと思う事は相手が誰であれ、言っていくタイプでした。
社会人になってから、これではマズイなと思った事もありましたが、途中からは開き直って、性格を直すよりも、それを生かした方が良いと思い、幾ら気に入らないと思われても、それを常に上回る位やろう、誰にも文句を言えない位にやれば良いのだと考える様になりました。

そんな考えで意見をドンドン言い、それをずっと認めてももらってましたので、私の事を面白くないと思っていた人は多かったと思います。
それをある時期から、一気に感じる様になりました。

私があるシーズンのヨーロッパ出張から帰って来た月曜日、その日は出社した段階から、何か周りの雰囲気も違っていました。
しばらくすると、その出張中に、私の所属している課が二つに分かれる事になったのを知りました。
9年連続TOPの課で、その時点で営業員9人で70億円を売り上げる課になっていましたので、課別独立採算で競わせる瀧定の特徴では、これを二つに分割し、又競わせる形にするのです。
9人で70億と言っても、その間の私は、数字は目を瞑るから・・と託されて新規の動きを行なっていましたので、確か年間で3億強しか売り上げていませんでした。

最大の課に居ましたので、そういう動きをする余裕があったのですが、二つに分割され、そんな余裕など無い状態になると、岡村のやっている事はどうなっているのだ、全然数字が上ってないじゃないかと、私が出張している間になっていた様です。

それで出社した際に、周りの雰囲気が何か腫れ物に触るような感じであったり、今まで先輩でありながら、私に気を使っていた様な人が、何か、とげとげしい態度で接して来たりしたわけです。
それ以降、私の境遇は一変しました。
それまでは会社のホープであったのが、全く売っていない、ダメ社員の様な扱いを受けましたし、上司に認められていた私に、今まで何も言えなかった人達から、面白い程、手のひらを返した様に攻撃を受けました。

勿論、社長にも言われてやってきた展開であり、必死にやって来た私は、納得いくわけもなく、上層部にも今までの経緯、どれだけ一生懸命にやってきたかなどを何度も何度も説明しました。
しかし、誰一人、聞く耳を持ってくれませんでした。
あれだけ一生懸命仕事をして来て、梯子を外された、この時の悔しさは説明しようのないものでした。
しかし、今から思うと、こういう経験もなければ、いずれ経験する事になる、ウエダに入ってからの悔しさにはうまく対処できていなかったかも知れません。

このヨーロッパ出張というのも私が直訴して、一部反対もある中、一般の営業員としては、初めて行かせてもらった事からスタートし、毎年春秋にパリとミラノで開かれる展示会にいくものでした。
それだけに特に最初などは、成果を出さないと何を言われるか分からないとの思いで、安ホテルに泊まりながらミラノ、パリという地でも必死に働いていておりました。
今では多分、毎年大人数で豪華な出張となっていると思いますが、この頃の私はこんな感じで、今まで無かった会社の流れを作る為に、最も働いておりました。

しかし、突然梯子を外され、初めて挫折というものも味わったのでした。

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