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社長ブログ

2007.01.21

阪神大震災 被災記②

お金を取りに帰り、何とかお茶や水を確保できました。
その頃、ラジオでは地震の影響で死者は5名とか正確には忘れましたが、何せ数名という報道をしていました。

しかし、私のマンションの周りを見ただけでもこんな報道は全く掴めていない証拠で、それだけにこれは恐ろしい事になっていると思いました。

とりあえず、部屋で割れた物や壊れた物を片付けましたが、どうしたら、これがここに飛んでくるのか?と思う様な状態で家具やテレビ等が倒れていました。
水は出ない為、調味料や洗剤等がこぼれて床がべとついていましたが、昨夜風呂に入った後、栓を抜いていないのを思い出し、風呂の残り湯で掃除をしようと思いました。

風呂場に行くと、又考えられない状況がありました。
昨日満タンにあった残り湯が、栓が抜けていないのに、全て無くなったいたのです。

電気、水道、ガス全てが寸断されていましたので、片付けるにも何も出来ず、道路も寸断されていましたが、神戸から有馬~三田という様に北に上って、京都府に抜ければ京都に非難できるかと思い、車で向かってみました。
その頃はもう夕方になって来ていました。

山の方へ向かう道に行ってみると、大渋滞になっていました。
そりゃ名神だけでなく、東西の国道も全て寸断されていましたので、考えてみれば当然ですが。。

大渋滞で全く身動きが取れない状況の中、又恐ろしい事が起こります。
自分が今止まっている少し前あたりのマンションで火事が起こり、その火は爆音と共に窓ガラスを割って道路側に顔を覗かせるのです。
このまま渋滞で居ると、丁度あの横で身動きが取れなくなり、そこでよりあの火事がひどくなるとどうなるんだろう?
この震災で思った事は、こういう大惨事の時は瞬時に判断しないといけない事ばかりだという事です。
この時もそれが求められていました。
しかもその時に私の車にはガソリンが少ししか入ってなかったのです。
これは、火事も危ないですが、身動きが取れない中、ガス欠でもしたら、どうしようもない(当然、全てのガソリンスタンドも閉鎖してましたから)ので、脱出を諦めて
帰ることにしました。

電気が来ていない、もう暗くなったマンションに戻りました。
マンションに戻りましたが、余震での倒壊の危険もあるので、全員に非難命令が出ていました。
辺りの火事は朝から燃えっ放しで、朝から3件だった火事は何件にも増えていますし、又マンションに近づいてきています。
そこを離れるのは、心配でしたが、その日はすぐ近くの高校の体育館に避難することになりました。
マンションから布団だけを持って体育館に向かいました。

つづく。

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