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社長ブログ

2006.06.24

歩道橋プロジェクト(京都流のルーツ?)

今日は忙しい一日でした。
みやこめっせのイベントに出展しながら、歩道橋プロジェクトのデザインコンペの説明会にも顔出ししてきました。
大盛況で会場の椅子が足らず、立ったまま聞いてもらっていた学生さんも数名いたくらいで、主催者は嬉しい誤算ではなかったでしょうか?
(私も実行委員なんですがあまり動けてないんで・単純に良かったぁと思います。)

みやこめっせの展示会は明日もあるので、その話は明日?以降に書くとして、今日は歩道橋プロジェクトが、実は京都流サイトのルーツかも??という話をします。

この歩道橋プロジェクトの言い出しっぺと書いていたのは、サイトのHPに名前も出てるから良いと思いますが、実行委員長の大久保さんです。
彼は私と同い年で、あの漢字検定を作り上げた男です。
彼の言い出しっぺに付き合ったのはこれが初めてではなく、経済同友会の青年政策研究部会という会の中で、円通寺の借景問題についてのシンポジウムをやりたい!と彼が言い出した時でした。
それまで私は、円通寺の借景問題もその意味を知りませんでした。
その意味とは、17世紀初め後水尾天皇(上皇)が比叡山を一番綺麗に見えるポイントをくまなく調べ、この地にその比叡山の姿を借りる形で庭を作り、以来その借景が400年もの間守られて来たのです。
ところが、それが円通寺の前の道路の拡張や、マンション開発で、比叡山が欠ける、借景が崩れるという危機に直面しているという話です。

そんな400年も守られて来た風景が、一瞬にして崩されるという話です。
そういう意味を知らなければ、多分私は、そんなの土地持ってる人が自分の土地にどう建てようと勝手でしょ?と多分開発論者だったと思います。
ところが、そんな背景、意味を知ると、そりゃ建てちゃ駄目でしょ?という考えになったのです。
以来、それまで、京都の駅ビルについても、それまでは集客があって名物にもなって良かったと思っていたのが、円通寺の借景問題を知ってからは、京都の駅ビルは、やっぱり木造だとか、レンガだとか、そういう行きかたにすべきだったのでは?と180度変ってしまいました。
それが私の景観問題のルーツ(浅さっ!)です。
これがなければ、多分私自身京都検定の理念の部分に共鳴することも無かったと思いますし、とすると、京都流サイトも生まれてなかったわけです。
そういう意味では、私にとって、この歩道橋プロジェクトと京都流サイトは大いに関係あるものなのです。

円通寺の景観問題も終わったわけではなく、それから繋がった話で、大久保氏は言い出したわけです。
で、何を無茶な事言い出すねん!と思いながらも、メンバーに入って来ていたというわけです。

歩道橋プロジェクトの話も面白いと思いますので、又ここで取り上げて行こうと思いますが、今日は京都流サイトとの繋がりという話にさせてもらいました。

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