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社長ブログ

2017.07.09

持続可能経済協会で、四十にして惑わず

今週は、飯尾醸造さんのイタリアンのオープンに合わせて宮津に行ったり、土曜日には、アミタホールディングスの熊野会長が立ち上げられた、持続可能経済協会の第一回会合があったりで、書きたい事満載ですが、その会合で、あまりにも衝撃的だった能楽師の安田登氏の講演について、備忘録も兼ねて書きたいと思います。

「能と論語を脱色する」というテーマの講演は、能は650年、論語は2000年読まれているが、殆どの人がつまらないと思っているのに、何故続いているのか?
2045年に迎えると言われている人工知能が人類を凌駕するというシンギュラリティを、論語を通して、前のシンギュラリティを見てみるという事から始まったのですが、能楽師というだけでも話題は尽きないだろう中、漢文?の辞書を編纂されたとかというご経験もありながらの論語研究、又一方では、3DCGやゲームの攻略本を書かれたり、インターネットも、まだ日本で使われていない1991年に米国で出会い、伊藤穰一さんなどともその頃から交流があったという訳の分からなさで、何故、一番衝撃的であったか?という事も想像して頂けるのではないか?と思います。

冒頭の何故、能はつまらないのに、650年続いて来たか?については、世阿弥が如何に続けるか?という仕組みを組み込んだからで、伝統と初心がテーマとなっているとの事でした。

初心の初は、衣と刀で、衣を作る際に最初に太刀を入れる事であり、人は次のステージに進む際に、今までの経験や固定概念などを切り刻まなければならないというのが、初心に返るという意味で、能は豊臣秀吉、江戸時代初期、明治、戦後と四度の大きな変化を経験しながら残ってきたのは、能には初心が組み込まれているからとのお話でした。

不惑、天命の、四十にして惑わずという話も、孔子の時代には”惑”という字は無く、孔子は”或”と言った可能性が強い。
“或”は、囲む、区切るという意味で、四十にして区切らずと言った可能性が高く、つまりこれも、今だと五十五歳位との事でしたが、その位になると、それまでの凝り固まった概念を区切って、初心に返っていかなくてはならないという事でした。

温故知新も、少し意味合いが違い、”温”はぐつぐつ煮込んだイメージ、”故”は、元は”古”という字で、”古”は古いという意味ではなく、堅いというイメージで、自分の中で固定化した知識という事、”知”も孔子の時代には無い字で、矢を表す字が使われている事から、至るという意味であり、”新”は、新たな切断面という意味から、温故知新は、「古い知識をぐつぐつやっていると誰もやってなかった新たなものが生まれる」という意味なのだそうです。
脳の余裕で手に入れたものが”知”であるので、AIになっていく時代、脳が余裕を生み、誰も考えなかった”知”が生まれていくとのお話で、これからは正に産業革命、明治維新などよりも大きい、人類にとってどうなるか?という時代に突入していっているという事を感じてワクワクしました。

この持続可能経済協会というのは、初年度は勉強ですが、それが目的ではなく、あくまで活動していこうとするものですので、私もこういう時代に生まれて来た事に感謝して、今で言えば五十五歳位という事を腹に据えて、四十にして惑わずから、五十にして天命を知るに向かって行動していきたいと思います。

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