LEAPDAYから世界へ

今週末は沖縄にいて、今帰りの飛行機で書き出しています。

土日二日間で行なわれたLEAP DAYに参加していたのですが、素晴らしい内容でした。

元々は、このイベントを主宰されている比屋根さんが、株式会社OKINAWAというような、皆でOKINAWAの位置づけ、意識を高めていこうとして、まずは未来に希望を持つ子供達を輩出していこうと、11年前からRyukyu frogsとして、ビジネスプラン作成などに寄り添いながら、意識を高めた学生達をシリコンバレーに
連れていくという活動を行なって来られたものですが、2年前からそれを2日間のイベントとし、その卒業生や、今学ぶ子供達の発表の場と、それを支援するというか、子供達の未来に向けて、その意志が尊重される世界を作る事に責任を持とうとする大人達が集まっていました。

2日間みっちりでしたので、今週はこのブログでも、纏めきれないですが、個人的には大変ざわついています。

比屋根さんとは、ミラツクの西村さんから紹介された初対面の時から、私も京都流議定書を行なっていた事から、意気投合というよりも同志的な感覚もあり、「何か一緒にやりましょうね」などと言いながら、私の方は今回初めて参加させて頂いたのですが、逆に1年少ない11年の間に、これだけの深みと厚みを作って来られている事に、若干、落ち込むというのか、自分自身のやっている事が全然浅いな~と感じると共に、能力の限界も感じたのです。

能力の限界と言っても消極的な意味ではなく、京都流議定書も12年もやりながら、場を作って、繋がりを生んで来たのはありますが、どれだけのインパクトを生み出して来たか?と言えば、自らが生み出していく事にはなっておらず、その仕組みを組み込んでいない、いや、正直言えば、自分ではできないという差を感じて、ざわついていたのです。

組織はTOPの能力以上にはならないですから、京都流議定書も私自身が構成している事が、ボトルネックになって来ているかも?とも思いましたし、改めて、来年以降の在り方も見直したいと思いました。

今週は、約36年半続いた、盛和塾京都の解散式も行われ、稲盛塾長も、久しぶりに出席して頂きました。

当初は、他の経営者の面倒を見る暇などは無いと断り続けておられた稲盛さんですが、一旦受けられた後は、京セラの発展と共に、第二電電からKDDIの設立、そしてJALの再生と、とてつもない事業を手掛けて来られた間も、自分の時間を削って、最終的には海外も含めて約1万5千人もの世界の経営者の指導に心血を注いで来られました。

稲盛さんの様な強烈な想い、誰にも負けない努力のレベルなどは、到底真似できるものではありませんし、もうこれだけのカリスマ型の経営者というのは出て来ないと思いますが、一方では、世の中の環境も、そういうタイプのリーダーでは適応できなくなっていくとも思います。

その為にも、リーダーの必要な要素も変わっていくと思いますし、自らが楽しんで未来を作っていけるタイプの人を養成していく事がより重要になってくると思います。

そういう意味でもLEAP DAYの意義は株式会社OKINAWAというものだけではなく、今後日本全体で大きなものになっていく様に感じました。

そして、能力の限界を感じたという私は、引退するのではなく(笑)、だからこそ自分の弱みを認識して、自分自身の在り方、関わり方を変えて行きながら、未来を作っていく人達が活躍していける環境作りに邁進していきたいと思います。