本物のソーシャルについて

先週は京都府の京の公共人材大賞でしたが、今週は京都市の1000年紡ぐ企業認定の審査でした。

審査と言っても、その賞それぞれに趣旨が違って、評価の仕方も違うので、選ばれなかったり、評価が高くなかったとしても、決してその企業や人がダメなのではありませんし、この賞でなければ、こちらの方が良かったとか、何の問題もないけど、この賞ではないですよね、という事がよくあります。

そもそも私などが審査を務めさせて頂いているわけですから、バリバリのビジネスプランコンテストではありませんから、世間一般の企業(人物)評価ではない事も明白です。

ただ、こと”ソーシャル”と言われるものについては、私自身は、嗅覚は持っていると思いますし、その観点が入る部分においては自信を持って審査させて頂いています。

私自身、何故その嗅覚には自信を持っているかと言えば、事業展開も死生観から考えている所があり、それも、説明していくとちょっと引かれるかも?(笑)と思いますので、深くは話ませんが、簡単に言えば、死後の世界というものがあって、この世の事は全て修行ではないか?という様な発想で、事業も自分の役割を全うする為、その存在意義を最大化する為から考えていたりするので、流行りや狙いで、ソーシャルと取ってつけたり、掲げていたりする所に対しては、論理ではなく、違和感を感じてしまうのです。

話のついでに、一つ自分の悩みを吐露すると、自分自身面白みが無い人間だと思うのですが、それは、資産を持つのも楽しむのも、死んだら終わり、と思っている所があるので、役割に繋がらない楽しみにも興味が持てないのです。

そろそろヤバくなって来て、これ以上は引かれるので止めますが(笑)、いつの世も流行りには、上辺だけ脚色してうまくやる所が入って来て、旨味を刈り取り荒らしてしまいますが、このソーシャルという世界では、それだけは止めて欲しいと思いますし、そうならない様にしていかないといけないと思います。

そうでないと、自分や自社が儲けたいと思う所が、ソーシャルを語っていくと、結局は世の中が良い方向に向いて行かないという事になるのですから。

今、朝一の新幹線で東京に向かっています。

ソーシャルビジネスサミットに参加する為ですが、この主催のボーダレスジャパンさんには、以前から大変興味を持っています。

実は以前から、NPOなどのホールディングができないか?と考えていたのですが、それを既に、もっと強固なビジネスで、しかも熱意ある若者を育てて起業家集団を作られているのが、ボーダレスジャパンさんなのです。

という事で今日は一日、ソーシャルシャワーを浴びると思いますので、又、言いたくなると思いますが、今日はこの辺で。